伝説の日本刀:正宗

伝説の日本刀:正宗 数多く存在している日本刀の中でも最も有名な一振りと伝えられるものは正宗でしょう。
名刀として創作物にもよく登場するものであるために名前くらいは知っているという人も少なくありません。
しかし正宗という確たる刀がこの世に存在するのかと言われるとそうではなく、正確に言えばこの名前はいずれかの日本刀を示すものではなく、日本刀を作る刀工の名前です。
言ってしまえばブランドの名前のようなものですから、数多くの刀がこう呼ばれているのです。
代表的なものを挙げるとすれば本田忠勝が持ったとされる金象嵌銘正宗本阿花押が挙げられますが、銘を入れていない無銘のものも多く見受けられます。
国宝だけを見ても九点が該当しているため、国宝に指定されていないものを含めると数十点、百点以上などの数多くの刀がこう呼ばれることになるでしょう。
事実として徳川吉宗が作らせた享保名物帳には該当する刀が五十九点掲載されていますから、数多くの名刀がこの刀工の手によって作られたと言えます。

伝説の日本刀:物干し竿

伝説の日本刀:物干し竿 伝説の日本刀と呼ばれるものには、俗に巌流島で宮本武蔵と戦った佐々木小次郎の愛刀であった物干し竿があります。
現在、一般的な刀は長さが60センチ以上のものを指し、60センチ未満のものは脇差しと呼びます。
物干し竿の長さは約100センチ近くあり、標準的な日本刀の長さ70センチと比較しても異質な長さです。
また、標準的な日本刀の重量である1.2キロから推測すると、物干し竿は2キロ近い重量があり、佐々木小次郎の膂力が計り知れます。
当時、侍の使用する刀の長さは、身長や上肢の長さで決められており、小次郎が長刀を持つに至った経緯は定かではありません。
佐々木小次郎は諸国を遍歴し、大刀を自在に操り剣技ツバメ返しを編み出した巌流開祖で、安土桃山時代から江戸時代初期の剣客です。
はじめは安芸国の毛利氏に仕えていましたが、やがて小倉藩の剣術師範になりました。
小次郎は20代の時に九州小倉の舟島にて、当時60歳間近の宮本武蔵に挑戦し敗れました。